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カテゴリー: 沖縄

映画ひめゆり

2008.08.19

7月に沖縄に行って、ちゃんと知らなくてはいけないと思った沖縄の事。上陸作戦というものがどれだけ凄まじいものなのか、そのとき平和記念公園の資料館を訪れてわからないなりに、いろいろ知る事ができました。
那覇の桜坂劇場でパンフレットをみかけて気になっていた映画『ひめゆり』が大阪の七藝で上映している事をしってきってきました。私はひめゆりに対しては、戦争の犠牲になった悲しく美しい少女たちというイメージくらいしかありませんでした。

悲しすぎたらどうしよう。。。と、ちょっと怖がりながら見に行きました。知って悲しくなっても、やはり知らなくてはいけない、消えてしまってはいけない歴史。

映画はアジア・太平洋戦争末期の米軍の沖縄上陸作戦まっただ中に陸軍野戦病院の看護に動員された15歳~19歳の学徒たち『ひめゆり』の生存者の方の語りで構成されたドキュメンタリーです。

作られたお話や演出された映画ではない、偽善でもない、ひめゆりの中で生き残って、おばぁさんになった人たちの語り。
病棟になった鍾乳洞や自決しようとした海岸など、体験した現場で、心に傷を持っているのに、思い出すのもつらい事を語っている。
それはただ『悲しい映画』ではなく、おばあさん達の現実で人生で、今もたくさんのことを背負い込んでいながら、使命であるように語る姿はとても強くて、重くて、すべてで。。。
事実であることがショックで、でも本当にあった歴史。だけど、過去ではなくおばあさんたちは今も生きているのです。

沖縄は日本本土への上陸を可能な限り引き延ばすため利用された。
地獄そのものの中で、人生がこれからという、うら若いひめゆり学徒隊のほとんどが亡くなった。
島民全体では4分の1の方々が亡くなった。

映像はないのに目を伏せてしまうような残酷なシーンの語り。
亡くなった友への心の奥底からの思い。
なくなった兵隊さんの遺体に感情がなっていた事に対する罪の意識。
自分だけ生き残ってしまったという事に罪の意識。
必死で生きるのに、自決した。それは自決の為に軍から手榴弾を渡されていて生きて捕虜になれば必ず辱めを受けた後戦車にひき殺される、あるいは股裂、にされると教え込まれ、捕虜として生き残ったら非国民で一家で差別を受ける、そう信じきっていたから。
国が見放した解散命令。それでも日本の勝利を信じていた。

書ききれないのだけど。。。あっとゆう間の130分。
「忘れたいこと」 を話してくれて、生き残ってくれてありがとう。
二度とこんなことが起こりませんように、いま世界のどこかで起こっている争いが一刻も早く終わるように。何もできないけど、この願いがどこかにつながりますように。平和であるから生きていけることに感謝して。

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